株式会社三共紙店
代表取締役 事代堂 高敏様
――三共紙店の創業からのお話を聞かせてください
昭和2年(1927年)、創業者である祖父が浅草で三共事代堂紙店を始めました。これが三共紙店のルーツです。今では、テレビや舞台、コンサートなどエンターテイメント業界で使われる壁紙などの装飾材料を販売していますが、創業当初はトイレットペーパーやティッシュペーパーなど生活に関わる紙を取り扱っていたと聞いています。
祖父の時代は、浅草や人形町の芸者さんたちといった芸事に関わる方々と取引をさせていただくことが多かったようです。高度経済成長期の頃に、歌舞伎座や明治座など舞台のお客様からテレビ局をご紹介いただき、テレビが開局して間もない頃からテレビ業界との繋がりが生まれました。
このような経緯がありまして、現在はテレビ局をはじめとしたエンターテイメント業界に装飾材料を提供する総合商社として、紙だけでなく様々な商材を取り扱っています。テレビは本当に色々な物を使うので、例えばカラーボールや番組に使う枝をご注文いただくこともあるんです。
三共紙店ではご依頼いただいた仕事を基本的にお断りすることがなく、できるだけお客様のご要望にお応えすることを信条としており、90年以上の歴史の中で「困った時の三共」として信頼を築き上げてきました。
「常に探究心を持ち、真心あるサービスを提供することでお客様の欲しいを形にし続ける」ことが三共紙店の経営理念です。お客様が何を望んでいるのかを察知して、お客様が欲しいと思われているものを形にして届けることを一番大切にしています。お客様に寄り添うことが三共紙店の一番の強みだと自負しています。
――事代堂社長の入社の経緯を教えてください
学生の頃は何も目標がないままアルバイトに明け暮れていて、三共紙店で働いたり、後を継ぐという意識は全くありませんでした。学校に通っている間も学業よりも自分で働いてお金を稼ぐことに興味があり、当時原宿にあった飲食店で働いていたんです。
まだカフェという言葉が一般的じゃなかった時代に、カッシーナの家具などインテリアにすごくお金をかけたお洒落な飲食店で、アルバイトながらオープニングスタッフとして働かせてもらいました。業界関係者のお客様も数多く訪れるお店ということもあり、サービスを提供する中で人と触れ合い喜んでもらうことの楽しさを、そのお店で学ばせていただきましたね。
三共紙店に入社したのは2001年です。私が22歳の頃に6歳年上の兄が独立して別の仕事を始めたため、母からウチの会社で働かないかと誘われたことがきっかけでした。
初代の祖父が亡くなってからは祖母が二代目を、母親が三代目を継いでいました。私が中学生の時に父親が交通事故で急逝したため、母が三代目社長として三共紙店を支えてきてくれていたんです。
入社した当初は、「後を継ぐ」というよりも「雇われて働く」という感覚が強く、どうやって定時に帰るかということだけ考えて仕事をしていました(笑)。当時、朝早くに出社して夜遅くまで会社にいることが美徳とされるような雰囲気があったのですが、私はとにかく早く帰りたい一心で、業務フローを見直して無駄を省くなど仕事を効率的に終らせる工夫をしていましたね。
従来のやり方にとらわれず、無駄だと思われる仕事は積極的に改善提案を出していたんです。「会社のために」というよりは「自分が早く帰りたい」ためでしたが(笑)、業務を効率的に進める取り組んだ経験は、結果として今に活きています。
――入社後は、どのようなお仕事から担当されたのですか?
当時は、営業・配達・出荷などで部門が分かれておらず、社員全員が全ての仕事を一通りこなしていたため、私も入社してからは全ての仕事を担当することになりました。
社長の息子として入社したことで色んな目で見られることもありましたが、3年間、無遅刻無欠勤で一度も有給を使わずに真面目に働いてきたことで、先輩社員の方々からは認めていただけたと思っています。
入社4年目にテレビ局用の見本帳をリニューアルする企画の担当になり、たまたま誘われて行ったドイツの展示会で大きな衝撃を受けたことが、自分本位だった仕事への意識を変える大きな契機になりました。
壁紙を使って素晴らしい空間を作り上げている展示会を見たことで、日本と世界との文化的なギャップを痛感し、壁紙に非常に興味を持つようになったんです。それまでは注文を受けた商品を売るという意識しかなかったのですが、日本で壁紙をもっとインテリア商材として認識してもらいたいと思うようになりました。
テレビ業界は納期に厳しく海外に壁紙をオーダーしてから届くまで待っていられないため、海外の高級で尖ったデザインの壁紙を一定数量仕入れて提案してみたところ、テレビ映えする派手な壁紙を気に入っていただき採用していただくことができたんです。自分が目利きして仕入れた物が実際にテレビで使われたことがすごく嬉しくて。これがチャレンジすることの面白さに気がつけた瞬間でしたね。
――経営にはどういったタイミングで関わるようになったんですか?
海外で刺激を受けて新しいビジネスの可能性に気づいてから、よりお客様に寄り添って何か出来ることはないかと意識するようになり、テレビ業界の集まりなどに積極的に参加するようになりました。
業界の集まりには父の世代の方々が多く来られていて、父のことを知っている方から色々と声をかけていただけることも多かったです。ある時、私の名刺に何の肩書きもないことを指摘されたことがあったんですね。確かに周りの方々は社長や取締役など管理職以上の肩書きの方ばかりである中、私は営業部の一社員という立場でした。
先代の母や当時の専務と相談し、取って付けたような形ではあったものの、入社して5年目にして取締役に就任しました。取締役といってもマネジメントに携わるようになったわけではなかったのですが、社外からは責任のあるポジションだと見られるようになったことで、立場が人を育てるというように「役職に見合った仕事をしなければならない」という意識が芽生えるようになりました。このことが、経営の仕事にも関わらせてもらうようになったきっかけですね。
――四代目として社長にはどのように就任されたのですか?
2010年には、専務に就任して会社の数字も見るようになり、実質的に経営に関わるようになっていました。2013年に母の病気が発覚し、その時点では代表者を2名置く形をとりました。そのため、正式に四代目として社長に就任し実質経営を一人で行う様になったのは、2016年からです。
代表を交代する前から私が会社を回しているつもりではいたのですが、実際になってみると見える景色が明らかに違いましたし、昨年に母が他界してからは改めて三代目を務めてくれた母の存在の大きさを感じましたね。
母は保守的なタイプで私が提案したことに対して肯定的に受け止めてくれることは少なかったのですが、それでも経営方針について相談する相手がいるといないのとではぜんぜん違うということを実感したんです。
新しいことに挑戦しなかった母とは何度も衝突したこともありましたが、父が亡くなってから20年間会社を守り続けてバトンを繋ぐ役に徹し、財務面でも私が新しいことにチャレンジする土台を残してくれたことは本当に感謝しています。
――社長に就任されてから課題と感じている点はありますか?
人事評価制度ですね。人が育たなければ会社が成長することもありませんから、この部分は真っ先に改善しなければならないと思いました。先代の時代までは評価が曖昧で、個人の頑張りや会社の業績とはあまり関係なく、何となく評価をしてしまっていたんです。
会社というものは皆がチャレンジするフィールドを作るためにあるものだと私は考えています。そのため、「ウチの会社を使って社員一人ひとりがやりたい事を形にしよう」と言い続けています。
格好いい言い方をすれば、全員が経営者のような意識を持って仕事に取り組んでもらいたいんです。そのためには、個々人が明確な目的を設定して、それを達成するためのプロセスを組み、それによって出た成果を会社が評価するという仕組みが必要不可欠だと私は思っています。
要するに、人事評価も含めてマネジメントの仕組みを構築することが、私の課題でもあり、三共紙店の課題でもあるんです。
まずは人事評価制度という箱をつくり、今まで曖昧だった制度を一年後から新しい制度に切り替えることを宣言して、社員が設定した目標に対して毎月面談を実施したり、部署間のミーティングを月に1~2回開催したりと、様々な取り組みを始めています。
また、以前のような全社員が一律に全ての仕事を担当する仕組みの中では、専任でないため責任感が希薄になってしまうという問題点がありました。そのため、営業・配達・出荷などそれぞれの仕事を分担し、一人ひとりが責任感を持って仕事に取り組む体制を構築しました。
本業の仕事がある程度安定していて自分たちで仕事を取りに行かなくても一定の売上げは見込めることから危機感に乏しいことは感じていて、意識を変えるにはまだ時間がかかっているような段階です。
しかし、意識を変えていかなければ会社が成長していくことはできないため、少しずつでも改善していきたいと思っています。
――最後になりますが、今後の展望について教えてください
3年後には、「テレビ業界以外の業界でメーカーになる」と決めています。その実現のために、デジタルのインクジェットプリンターを3台揃えて、自社で壁紙を制作する体制を整えました。既にテレビ業界に向けては自社商品の販売もしており、それをテレビ業界だけではなくホテルやマンションなどのインテリアに供給していきたいと考えているんです。
主な取引先であるテレビ業界では、壁紙を供給するクロスメーカーの販売戦略とテレビ業界の需要のバランスが釣り合っておらず、需要はあるもののメーカーが販売を終了してしまうということがよくあります。三共紙店としてはお客様からの要望に応えるため、在庫を確保して対応しなければならず、倉庫に在庫が山積みになってしまうんです。
自分が見本帳の企画担当者になったことで、異なる業界の需要と供給のバランスを調整する難しさを実感しました。それがきっかけで、メーカーとお客様の間に立って調整するだけではなく、工場を持たなくても事務所内で壁紙を制作することのできる印刷機を導入してメーカーになることを決意したんです。印刷機の導入に合わせてデザイナーも雇用し、自社だけでオペレーションとデザインをできる体制は整えています。
数年前にエンドユーザーをターゲットにしたB to CのECサイトも立ち上げたことがあるのですが、エンドユーザーとの接点がない中でB to Cサービスは難しいことが分かったので、B to Bのサービスとして再構築してちょうど今年から新事業をスタートさせました。
メーカーとしては後発も後発なので、万人受けするものを作っていたのでは既存メーカーに太刀打ちすることはできません。ただ、デザインの面などで差別化することができれば三共紙店の強みが出せると考えています。本業であるエンターテイメント業界に対する営業活動も強化しつつ、新しい業界・業態におけるメーカーとしての新規事業も実現させていきたいですね。
既存事業の強化も新規事業への挑戦も、その根底にはお客様に寄り添ったサービスを提供するという想いがあります。お客様の要望に耳を傾けながら何を提供していくのかを突き詰めて考えていくことで、ただの便利屋ではない三共紙店ならではの独自性を発揮していきたいと思っています。
<インタビュー情報>
株式会社三共紙店
代表取締役 事代堂 高敏
会社ホームページ http://www.sankyokamiten.co.jp/