ユニフォームで企業の課題を解決するソリューションカンパニーへ

2018-08-07 12:00
2代目経営者インタビュー

株式会社ユニフォームネット
代表取締役社長 荒川 広志


――株式会社ユニフォームネットについて教えてください

 ユニフォームネットは、1975年、福島県郡山市で創業しました。当時は郡山の商社という意味で「郡商社」という社名でした。郡山から福島県全域に拡げていくため、1982年には「福島ユニフォーム」という会社も設立します。創業者である父が開業資金を貯めるためにユニフォームの営業職として働いていたことから、主に作業服などのユニフォームを扱う会社として創業したと聞いています。

 父の時代には、茨城県、栃木県にも進出し、規模を拡大していきました。経営の多角化も進め、フラワーショップの『花物語』や『トップステディ』という進学塾を経営していたこともあるんですよ。1990年にはグループ会社を合併してユニゼックス関東を設立。ここから事業を集約して本業のユニフォームに注力していくこととなります。

 2000年代には東京進出を果たし、2008年には本社を東京に移転。翌2009年に現在の「ユニフォームネット」に社名を変更しました。創業から40年以上、お客様を一軒ずつ訪問する営業スタイルは変わっていません。先代の父は“牛歩”とよく言っていましたが、一歩一歩地道にコツコツ積み上げていくスタイルを大切にして貫き通しています。

 また、地道なだけではなく、新しいことにチャレンジする精神も社風といえるでしょう。新拠点の開設やPBの制作など業界の中で何ができるのかを常に考えているんです。現在では福島県をはじめ関東圏に10拠点を構え、地域密着型のユニフォームソリューションカンパニーとして、ユニフォームで企業の課題解決を支援させていただいています。


――御社の経営理念を教えてください

 「社員の英知は企業の繁栄に。企業の繁栄は社会の貢献に。」ですね。創業期からこの企業理念を掲げ、現在もこの精神を大切にしています。創業3年目、父が27歳のときに直筆で書いた企業理念をずっと会社に飾っていました。東日本大震災のときに原本は失われてしまったのですが、コピーは残してあって、現在も中期経営計画書などに載せるようにしています。

 人があって企業があり、そして社会がある。これは決して逆ではなく、「企業というものは、結局、人なんだ」と、父は考えていたのだと思います。「会社は人が全てだ」とよく言っていました。「社員の英知」とは集まった仲間が知識や知恵を結集させることを意味しており、企業活動は一人ではできないという想いが込められています。

 企業理念と同時期に定めた「人は礼に始まり、礼に終わる。」という社是も、変わらずに守り続けています。多角的な事業展開をしたり、営業エリアを拡げ事業規模は拡大しても、会社の原点は変わらずに一貫しているんです。


――「会社を継ぐ」という意識は、いつ頃からお持ちでしたか?

 自分で覚えている限りでは、小学校2年生の頃ですね。将来の夢として社長になることを宣言していました。当時お客様のところに訪問する商売だけでなく祖父の実家の一階で作業服や軍手、長靴などを販売するワークショップをやっていて、店先でよく遊んでいたため、父の商売を身近には感じていたんだと思います。

 小学生の頃はソフトボールのキャプテンをしていて、父がコーチとして引率してくれていました。試合に負けると「チームとして負けるのはお前のせいだ」と凄く怒られたのを覚えています。個人の成績よりもチームを背負っている責任を言われることが多く、今思えばリーダーになるための教育だったのかもしれません。

 それに、子どもの頃から父に「後継者はお前だ」とずっと言われ続けてきたので、父の後を継ぐのは自分だと自然に思うようになっていました。大学生の頃には、継ぐことを前提に父の会社でアルバイトをしたり、メーカーさんの研修旅行に付いて行ったりもしていたので、他の仕事をすることは考えていなかったですね。

 大学卒業後は、新卒社員としてウチの仕入先でもある東京のユニフォームメーカーに3年間の約束で就職し、お客様にユニフォームを販売する直販部門で修行させていただきました。結果的には3年半その会社で営業を経験することになり、2002年27歳の時にユニフォームネットに入社します。

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――入社後に苦労されたことはありますか?

 ユニフォームネットに戻ってから、後継者として入社したことで社員とのギャップを感じました。よく経営者は孤独だと言われますが、後継者はもっと孤独なんですよ。

 当時、通販事業を始めた頃だったので新規事業部に配属されたのですが、他の皆とは違う路線の別部署のような形で働き始め、社員と仲良くなることができないのが悩みでした。また、個人としても部署としても、この会社で何の実績も残していないため、もどかしさを感じていました。

 平社員だった頃、他の社員からの不平不満を改善しようと、父に何度も噛み付いたこともあります。自分としては社員のモチベーションを上げようと思っての改善提案だったのですが、父には全く相手にされませんでしたね。今思うと社員のためにと言いながら、数字で実績を上げられていなかった分、社員たちに自分のポジションを認めさせたくて父に噛み付いていたような気がします。それを父には見抜いていたのでしょう。

2008年に会社が東京進出した時、私は常務の肩書きを頂いていたんですが、同じ年に起こったリーマンショックの影響で会社の業績が大きく落ち込むことになります。この時、常務になって約1年で業績不振の責任を取る形で降格することになりました。

 人より多く給料をもらっている身で会社の業績回復に貢献できていなかったことで、自分は経営者の器ではないと考え、番頭を務めてくれていた二人を呼んで会社を辞めさせてほしいと言ったんです。1年間悩みに悩んだ末に出した結論でした。


――一度は辞めることも決意されたんですね。そこから後継者としてリスタートされたのには何かキッカケがあったのですか?

 会社を辞める意思を伝えた時、番頭の二人から「そんなに焦る必要はない。もっとゆっくり自分の強みを考えなさい」と言われました。散々苦しんで考えた末の結論だったので、そこから「更に考えろ」と言われたのはキツかったです。それでも、そこで自分の強みは何なのかを改めて考えるようになりました。

 そんな時、東京に進出してから面倒を見ていただいた業界内の師匠のような方に、「お前は人の扱いが下手くそだ」と指摘され、池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』を勧められました。時代小説ですが「長谷川平蔵が私財を投げうち部下を上手く使って悪を退治するという目的を達成する話だから、長谷川平蔵から人心掌握術を学べ」と言われたんです。

 それから、池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』をはじめ『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』などの代表作を読み漁り、『剣客商売』の番外編である『黒白』という作品に出会ったことが大きな契機になりました。「人間は白か黒かで判断できるものではなく、様々な色が混ざりあって成り立っている」という話を読んだ瞬間、「白か黒かの二択ではなく、いろんな色があってもいいんだ!」と衝撃が走ったんです。

 創業者の父はイエスかノーで考えるタイプなのですが、私もそれに合わせて二元論で考える必要はないということに気がつき、自分が社長の器であるか否かといった考えを捨てました。

 『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵の人心掌握術と、『剣客商売』の主人公、秋山小兵衛の息子である大次郎が父親の後を追いながら成長していく姿に感銘を受け、平蔵と大次郎を合わせたような人間になりたいと、自分の理想像がバシッと固まったんです。「自分が社長の器であるかどうかは関係ない、求められているんだったら社長になる」と決意した瞬間でした。


――決意された後、どのような経緯で社長に就任されたのですか?

 社長になる覚悟を固め、リーマンショックの影響から会社が立ち直り始めていた頃、父からは代表を交代すると言われました。しかし、2011年に東日本大震災が発生します。福島県の物流はしばらくの間ストップすることに。経営の危機でしたが、福島でやっていた物流をすべて東京で引き受けて何とか凌ぐことができました。

 当時内定取り消しの問題などがあったことで制服の仕事にも影響は大きかったのですが、社員のうち半数以上が福島県に関係のあるスタッフだったにもかかわらず、震災を理由に辞めた社員は一人もいませんでした。むしろ3月末で辞める予定だった社員が1年間退社を延長し、震災の影響が大きい拠点へ赴任してくれるほどだったんです。

 会社が危機に瀕した際、社員が一丸となって支えてくれたことは本当に有難かったですね。おかげで2011年も何とか数字をクリアして、その翌年2012年に社長に就任することができました。

 そういったタイミングで代表に就任した私は、この恩を一生かけて返さなければならないと思っています。メーカーさんたちを招いた社長の就任式では「この恩を一生かけて返すために社長をやります」と宣言して、新代表としてスタートを切ることになりました。


――社長に就任されてから、変えられたことはありますか?

 私が代表になってとにかく取り組んできたのは「見える化」です。“経営計画”、“営業ツール”、“お客様からの声”の3つの「見える化」に取り組んできました。

 最初に大きく変わったのが経営計画の作成。冊子にした中期経営計画書を全社員に配る形にしたのが見える化のスタートです。

 社長に就任して2年目の冬、忘年会でA4の紙に白黒で印刷をした資料を配布して来期に向けての方針を発表したのですが、ビックリするほど誰も何の反応もなかったんです。ピクリとも反応がない。この経験から社員に対して見える化をしてキチンと説明しないと伝わらないんだということを実感しました。

 それから二週間、缶詰になってどうやったら会社の方向性を社員に示せるようになるかを考えて作ったのが中期経営計画書です。私の思いを込めているので、パーソナルカラーである黄色の冊子を作り、「これが今のウチの会社だから」と言って社員全員に配りました。

 ちゃんとした印刷をして冊子として製本したのは、何かに紛れてなくなってしまうことがないように目立つものにしなければならないと思ったからです。また、予めページ数を決めて限られたページの中で伝えるべきことを絞り、優先順位を付けて伝えることを意識しました。

 自分が見て違和感がないものでなければ社員たちには伝わらないだろうと思い、文字の大きさやイラストなどビジュアル面にも気を使っています。「経営はデザインだ」というのが私の持論です。経営やビジョンといった形のないものはデザインすることによって、はじめて人に伝えることができると思っています。営業ツールもお客様の声もやり方によってはきちんと「見える化」できるのです。


――“営業ツール”と“お客様の声”の見える化というのは何ですか?

ウチは営業の会社なので、営業活動の中でお客様との接点の持ち方が一番重要だと考えました。商談で受注できるかどうかはお客様次第ですが、新規の営業活動ができなければ致命傷になってしまいます。

そこで、お客様のところに行く理由付けを作るために、営業ツールの見える化に取り組みました。オリジナルの作業服パンフレットなどをはじめ、ユニフォーム業界で初めてのオフィスウェア情報誌「Lezene(レゼン)」を発行するなど、様々な角度から様々な立場の人に向けた情報提供ツールを制作しているんです。単なる商品紹介だけでなく、お客様に喜んでもらえる情報を提供することにより顧客接点を確保することを心がけています。

 お客様の声の見える化としては、私自身が企業にインタビューに伺い、ユニフォームを導入していただいた企業の声をまとめた小冊子「user’s VOICE」の発行を3年前から始めました。

これはお客様に向けて作っているようで、実は営業マン教育の側面が強いんです。営業は数字で評価されがちなものですが、お客様の声を見える化したことで数字以外の面で営業マンを褒めるプログラムとして活用しています。

また、お客様との関係性を見える化したことで、お客様とユニフォームネットがWin-Winの関係性であることを示して、単なる一業者としてではなくパートナーとしての関係を築いていきたいという思いを込めていますね。


――人材や組織づくりで取り組まれたことはありますか?

基本的に設備や不動産などに投資をしないので、すべて人に投資をするようにしています。人材採用もリーマンショックがあろうが震災があろうが、ずっと新卒の採用活動をしているんです。新卒として入社して現在一番年齢が高い社員は55歳。拠点長を務めてもらっていますが、30年以上前に新卒入社した社員で、その頃から新卒の採用は継続的にやってきています。

また、採用と同じくらいに、社員が少しでも辞めない環境を作るにはどうしたらいいか考えていますね。中途採用で入社して3~5年で転職していく社員が多かったのですが、少なくとも家族の意向で離職する社員がいなくなるよう、中期経営計画書や社内報などを発行することによって会社のことを社員の家族たちにもよく知ってもらいたいと思っています。

経営チームとしては、父の時代はトライアングル体制でやっていました。先代社長の父と、営業責任者、内部管理責任者の3人がそれぞれのプロフェッショナルだったんです。私が社長に就任してからは、先代が会長に就任して一線を退き、新たに営業部長と商品部長を加えて、社長である私+幹部4人のクインテット体制になっています。

私は先代とは違って、経営でも営業でも財務でもプロフェッショナルではないので、幹部の中心で全てを繋ぐような役割を担っています。イメージ的には、平面の四角形の真ん中に自分がいてピラミッドのような四角錐のイメージですね。​​​​​​​


――最後に、これからの展望について教えてください

ユニフォームネットでは「ユニフォームソリューションカンパニー」という事業コンセプトを掲げています。売上が上がらない、利益が出ない、人材が育たないといった企業が抱えている課題にユニフォームを通してサポートしていくということです。ユニフォームを提供するだけでなく、お客様企業を良くしていくことが我々の使命だと思っています。

同じ仕事着でも、個人の趣味趣向で購入するワークウェアとユニフォームは基本的な考え方が違っていて、ユニフォームは会社や職業のイメージを端的に表すアイコンなんです。警察官の制服も動きにくそうですけど威厳や信頼を表していますよね。

ユニフォームの文化は日本独特なものだと私は思っていて、その価値や意味をしっかりと伝えていかなければならないと思っています。小さい会社でもお客様から信用してもらうためには、世の中の役に立っている仕事であり会社であることを知ってもらわなければならないんです。

営業拠点はこれからも増やしていきたいと思っていますが、必ずしも営業効率の良い拠点ばかりではありません。そんな中でも地域性に合わせたサービスを提供できる拠点を増やしていき、その地域が豊かになっていけるよう、少しでも役に立ちたいと考えています。

もちろん、売上の数字の部分でも拘っていきます。ユニフォーム業界全体の市場は5,000億円程ですが、直近の2020年で25億円、2023年には納入代理店ナンバーワンになるため30億円以上の売上にはしていきたいですね。

そのためにも、コンスタントに人材を育成し、日々の営業活動の中で信頼を得るのと同時に、ユニフォームの仕事を社会に知ってもらうためのプロモーション活動は今後も続けていきたいと考えています。


<インタビュー情報>
株式会社ユニフォームネット
代表取締役社長 荒川 広志
会社ホームページ http://www.uniform-net.jp/

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