楽しく働けてお客様を幸せな気持ちにできる、新しい不動産屋を目指して

2018-07-30 08:00
2代目経営者インタビュー

中央ベストホーム株式会社
代表取締役 深瀬 孝

 

――中央ベストホーム株式会社について教えてください

平成2年に、創業者の長島が杉並区阿佐ヶ谷で中央ベストホームを創業しました。はじめは殖産住宅のフランチャイズチェーン『殖産のベスト』一号店としての出店です。当時、不動産仲介でフランチャイズ制度を導入していたところはなかったため、ハウスメーカーのフランチャイズとしては日本第一号だったのではないでしょうか。

長島が目指していたフランチャイズは、店舗を増やすことを目的としていませんでした。重視していたのは、精神面での繋がりです。どんな会社でも加盟店になれるわけではなく、想いを共有できる会社同士でのフランチャイズ展開を目指していたと聞いています。中央ベストホームの他2社とフランチャイズ店をスタート。最初は3店舗から始まって一時期は20店舗くらいまで加盟店が増え、年に一回のフランチャイズ総会では200名くらいか集まり大盛況でした。

しかし、フランチャイズの大元である殖産住宅が倒産してしまいます。それで多くの会社が脱退してしまうことに。中央ベストホームとしては『殖産のベスト』というネーミングを浸透させて地域に密着してビジネスを行なっていましたので、大元である殖産住宅がなくなりフランチャイズを外れた後も生き残ることができました。

創業者の長島は、不動産業界の中では異色とも言えるほど堅実で真面目な人でした。ゴルフや飲み会でも会社の利益に繋がらないことには会社の経費を一切使わず、「会社は社長のものではなく皆のもの」だという想いを強く徹底していましたね。だから私も付いていこうと思えましたし、ピンチを乗り越えて会社が継続することもできたのだと思っています。

現在は、『殖産のベスト』吉祥寺本店をはじめ、2001年に荻窪店、2013年に中野店、2015年に三鷹店と井の頭公園店、2018年に世田谷店をオープン。地域密着型の不動産屋さんとして「楽しい家さがし」=「くらしさがし」をご提案させていただいています。

 

――深瀬社長はどういった経緯で入社されたのですか?

もともと「将来は音楽で食べていきたい」と思っていたんですよ(笑)。中学生の頃に始めたギターにのめり込み、高校卒業後、ミュージシャンを目指して上京、数年間は日雇いのバイトをしながらライブハウスなどで音楽活動をしていたのですが、やはり現実は厳しかったですね。このままミュージシャンを目指し続けることに限界を感じて、仕事探しを始めました。

運良く採用してもらえたのが中央ベストホームだったんです。平成4年の時ですね。当時はバブルが崩壊した直後で仕事探しも簡単ではなかったので、世間知らずだった私を採用し育ててくれたことは本当に感謝しています。

あの頃は、まだバブルを経験してきた先輩方がたくさんいて、毎日飲みに連れて行ってもらいましたし、先輩方には可愛がっていただき様々なことを教えてもらいました。不動産仲介の経験もなく電話もまともに取ることができなかった私を、ある先輩社員が親身になってくれて、マンツーマンで指導してくださったんです。

その頃の私といえば、入社してから数ヶ月間は売上げを全くあげることができず、一時は辞めることも考えました。でも、「親身になった指導してくれている先輩に報いたい!」という思いが湧いてきて。本気で仲介営業に取り組み続けた結果、半年後にはじめて契約を取ることができました。当時の上司も先輩も凄く良い方ばかりで、人に恵まれた最高の環境でしたね。

 

――どういった経緯で社長に就任することになったのですか?

先輩方に鍛えていただいたおかげで、2009年は吉祥寺店の店長を務めさせていただけることになりました。その頃、全社的に業績が芳しくなかったことに加えて、創業者の長島が癌を患い、外から呼んできた別の方に社長を任せることになったんですね。

新体制で立て直しを図るつもりだったのだと思うのですが、新社長の方針が合わず多くの社員が「辞める!」と言い出す事態に。新社長はすごく男気のある方ではあったのですが、「業績が悪いのは根性がないからだ!」という根性論が強く、その急転換に付いていくのは難しかったのです。

結果、新社長が就任後一年間でまったく結果を出すことができず、自主的に退任されることになりました。その後、2011年、長島からの指名を受けて私が社長に就任することになります。

もともと「経営者になりたい」と考えていなかったのですが、二番目の社長が退任された時、「おそらく次は自分だろう」とは思っていました。会社の状況や責任も含めて代表に就任することを自然と受け入れていましたね。今は会長を務めていただいている長島も、腹を括って全て私に一任してくれました。会長は、今でも私の東京の親父として飲みに行ったり、旅行に行ったりしています。2018年には全ての株までも売却してくれました。

 

――社長になられて、どんな課題がありましたか?

代表に就任して思ったことは「とにかく会社を潰してはいけない」ということ。本当にそれだけですね。そのために、「まず人が辞めない会社を作ろう!」と心に決めました。それが会社としての大きな転機になったと思います。しかし、社員が辞めない環境づくりに取り組んでいたにもかかわらず、しばらくは離職率がなかなか下がらず本当に悩みましたね。

今思えば本当に恥ずかしい話なのですが、「これだけ環境を改善しているのに、なぜ業績はあがらず、辞めてしまう社員も減らないんだ」と口に出してしまったこともありました。結局、私が変わっていなかったから、状況が変わらなかったんです。それなのに、自分はこれだけ頑張っているのに…と言ってしまったことは、当時はトップとしての自覚が足らなかったんだと思います。

そこに気づいてから、幹部の古川と一緒に二人三脚でもう一度基盤を作り直すことになりました。古川とお互いに絶対に裏切らないから信頼し合おうと熱く話し合ったんです。心機一転して取り組み始めてからは、1~2年で社員が辞めない体制を作り上げることができました。今では不動産業界では異例の離職率0%を実現できていることが自慢です。

 

――人が辞めない会社づくりのためら、何に取り組まれたのですか?

一番重視したのは、居心地のよい会社にすることです。お金も休みも笑顔も全てが楽しい会社を目指して、40代の自分と30代の古川、20代の社員たちの意見を全部ミックスした組織づくりを意識してきました。

意見を出しやすくするため、私は極力怒らないようにしています。上がってきた意見を全て取り入れられるわけではありませんが、「ちゃんと聞いているから安心してほしい」と私の口から伝えるようにもしていますね。私に直接言えないこともおそらく沢山あるとは思いますが、そこは私の下の幹部たちが拾い上げる体制ができていると思っています。

休みに関しても、業績に関係なく休む時に大いに休めるようにしています。社員たちには家族のために使える時間を増やしてほしいと思っていますし、それまでは業界としてはタブーだった土日休みも認めるようにしました。結果的に、その方がモチベーションも上がって、売上げが上がるようになりましたよ。家族が一番、仕事が二番で構いません。しかし、いざというよう時に仕事を優先する気持ちは忘れないでほしい。気持ちが大事だと思っています。

誰でも楽しく仕事がしたいと思うんですよね。私が長く中央ベストホームに勤めることができたのも、一言で言えば、仕事が楽しかったからなんです。だから楽しく働ける環境をつくっていくことを一番大切にしています。

昔、母親と話している時に「東京で不動産の営業をするのは大変なんだ。上司は部下に対して、売上げを上げてこい!と怒鳴らなければいけないときもある。休みのときでも働けと言わなければいけない」と言ったことがありました。

母は「そうは思わない」と言ったんです。「一生懸命働いている人に対して、そんなこと言ったら可哀想じゃない」と。それから社員に対してあたたかく接しなければいけないと本気で思うようになりましたね。母親とは昔から仲が良かったんですが、影響も強く受けていて、人を想う気持ちの大切さは学ばされたように思います。

 

――後継者として、変えるべきところ、変えてはいけないところはありますか?

長島会長は「会社は社長のものではなく皆のものだ」といつも言っていました。私も同じ想いを引き継いで社長を務めさせていただいています。これは何があっても変わらないですね。私が敢えて言葉に出して言わなくても、次の世代になってもこの想いだけは変わらないでしょうし、逆に言えばそこが変わってしまったら中央ベストホームではなくなってしまうと思っています。

一方で、その会社の根幹に関わる想いの部分以外はほとんど変えてきています。長島の時代はインターネットもまだ普及していませんでしたが、今はネット全盛の社会ですからやり方が全然違ってくるのは当然です。

売上に関しては締め付けを一切なくしました。ノルマを達成していない社員を怒るのではなく、皆でそれを助けようという体制にシフトしたんです。これは口で言うほど簡単なことではなく、売上が芳しくない時は内心ピリピリしていることはありますが、それを絶対に表に出さないようにしています。

怒らないで売上を上げられるよう、管理職者たちは本当に頑張ってくれています。社員たちも、経営陣や管理職者たちが我慢しながらやっていることを気づいてくれていると思っています。

 

――最後に、今後の展望について教えてください

「お客様にとって身近な存在の会社でありたい」と思っていまして、ホームページをリニューアルする際、「不動産を売ることはやめよう」ということをテーマにしました。あえて不動産会社のホームページを作ったことのない制作会社に依頼し、物件の反響ではなく中央ベストホームという会社に対する反響がもらえるようなホームページを目指したんです。

不動産業界のホームページは、「お気軽にどうぞ」と謳いながら、会員登録や個人情報を入力しないと情報がもらえないところがほとんどです。それに私は違和感を覚えていて、お客様が本当に気軽に問い合わせができて、それに対して正直にお応えする体制を作っていきたいと思っています。将来的には、不動産を購入したお客様が自由に情報を交換できるような喫茶店のような場作りをしていきたいですね。

また、社員数が50人を超えているので、今後、経営理念を明文化して浸透させていきたいと考えています。まだ具体的な言葉として形にできていないのですが、「人が集まる会社」をテーマにするつもりです。

長島会長も部屋に「徳有ればここに人集まり。人有ればここに仕事あり。」という言葉を飾っていました。気がついたら同じ理念を引き継いでいるような気がしています。先代から引き継いだ想いを形にしていくことも私の役割なんでしょうね。

人が集まるというとシンプルな表現ですが、気持ちの良い会社じゃなければ人は集まりませんよね。社員たちに楽しく働いてもらいながら、ウチに来てくれた全ての方に幸せな気持ちになってもらえるような会社にしていきたいと考えています。

そのために、私自身含めて、全社員の人間力強化も徹底指導しています。挨拶が出来ない社員へは売り上げに関係なく厳しく指導しています。人は会社から教わる事が多いし、大人になれば外では誰も教えてくれません。当たり前の事が当たり前に出来きる事が大切です。

現在、私と古川、矢島、久野という四人の経営チームで会社の方針を決定しています。この経営チームでは、それぞれ役割分担をしながら100%以上の信頼関係を構築できているんです。

私一人では数字を意識しながら組織づくりもしていくことなど到底できませんでした。信頼できる幹部に出会えたことが何よりも有り難いですね。この信頼関係があれば、今後どのような問題に直面したとしても乗り越えていけると思っています。

 

<インタビュー情報>
中央ベストホーム株式会社
代表取締役 深瀬 孝
会社ホームページ https://www.chuo-besthome.co.jp/

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