変わりゆく物流のカタチを見極め、新時代のビジネスを生み出していく

2019-01-15 17:00
2代目経営者インタビュー

丸進運輸株式会社
専務取締役  半田祐也


――はじめに、丸進運輸株式会社について教えてください

丸進運輸は私の父が作った会社です。当社の歴史は約50年におよび、今では、東は茨城県から西は中国・四国まで自社保有倉庫を構え、生活関連商品・食品輸送・精密機器・生花輸送とさまざまなモノの輸送に携わらせていただいています。

お客様から海外への取引のお手伝いもさせていただいており、建設・工事、環境衛生、自動車整備、外国人技能実習生の受け入れサポートなど、グループで幅広い事業を展開するまでなりました。当社の事業をひと言でいうと、「国際総合物流業」です。

丸進運輸は、父がたった1人ではじめました。最初はトラック1台でのスタートだったそうです。創業当時は運送会社からの下請け業務が中心でしたが、他の業者が敬遠するような仕事を進んで受注したことでメーカー様との直接取引が始まり、高度経済成長期の流れに乗って、徐々に規模を大きくしていきました。


――大きな転機になったことがありましたら教えてください

大きな転機は、平成15年1月に丸進運輸の本社ビルを建てたことですね。場所は、兵庫県の伊丹です。これを機に、今まで営業所も駐車場も全部借り物でしたが自社所有の物件を増やしていくことになりました。広島、大阪、京都、ウチのものではないのは長野と名古屋だけですね。

不動産を取得したことで、収入が増えました。どういうことかというと、ウチは運送会社なので駐車場が必要なんです。これを借りていると駐車場代が発生します。トラックが動かなくても、必ず一定のお金がかかるわけです。でも自社で倉庫付きの駐車場を持つと、恒久的に駐車場代がいらなくなります。さらに、倉庫を持つことでお客様の荷物を保管することも、倉庫作業を自社で行なうこともできるようになり、倉庫代と作業代をいただけるようになりました。今まで払っていた分が逆に収入に変わるという、これはポイントだったと思いますね。

もう1つの転機は、国際事業部の設立ですね。これは平成16年8月です。国際事業部は、日本企業と海外企業との取引を円滑に進めるためのサービスを行なっている部署です。日本のメーカーは中国の工場に商品を作らせています。その場合、まず先にお金を払わないといけないんです。そして出来上がるのは2~3ヵ月後で、その後、日本に運んで日本の百貨店に卸します。その百貨店で商品が売れてから入金になるまで半年以上かかってしまう。これが今までの仕組みでした。

国際事業部が関わることでどう変わるかというと、中国に払うお金をウチが肩代わりします。そして、商品が売れた分で肩代わりした分を返していただく。これによって、アパレルメーカーのキャッシュフローがだいぶ楽になるんです。うちとしては決済を代行しましたので追加で手数料をいただきます。ただそれを払ってもお客さんとしてはキャッシュフローが楽になるメリットがあるんです。この挑戦は、完全に普通の運送会社から一歩抜け出した瞬間だったと思います。

他にも、自社給油設備を持っていたり、協同組合があったり、保険の代理店契約をしていたり、不動産業や建設業の許可を持っていたり。なかなか普通の運送会社ではできないことをやっています。


――少し話題が変わるのですが、専務自身のことを教えていただけますか

私自身ずっと小さい時から「大きくなったら会社を継がなければいけない」って言われていました。「お前は強くならないとダメだ」といつも言われている子ども時代でしたね。

だから、小学校の時は水泳と空手をやっていました、中学はサッカー部に入って、高校はラグビー部です。大学からはテコンドーもやって。生粋の体育会系です。いろんなスポーツやってきたんで、普通の人よりは度胸はあると思います(笑)。

父から「経営者の教え」みたいなものを受けたことはありません。なので、自分としては運送業の下積みが必要だろうと考えていて、大学を出た後によその運送会社に就職しようと考えていました。

その時、父の近くにいた幹部の方に言われたことがあります。「トラック1台に乗って、なんぼの売上が上がると思う?」と。実際のところ、自分がトラック乗っても1人分の売上しか立ちません。その問いは、「お前はマネジメントや経営を学ぶべきだ」という気づきを与えてくれるものでした。そもそも物流会社の物流システムは遅れている。一番進んでいるのは商社。だから「君は商社に行きなさい」と言われました。

その発想は私になかったので、とりあえず合同説明会に参加して片っ端から商社を受けていき、就職することにしたのです。

ところが、その会社は商社とは名ばかりで、浄水器の販売をやっている会社でした。超ブラック会社でしたね。朝8時から夜遅くまで、個人宅に毎日ピンポンする訪問販売です。体罰的な事も沢山ありました。スクワット1200回やらされたり。新横浜の駅前で歌を歌わされたり、腕立て、腹筋、背筋、空気椅子をやらされたり、いろいろ目茶苦茶でしたね。その時に思ったのは、「この過酷な環境で浄水器が売れたらすごく自己成長する」ということ。その思いを糧に頑張りました。

1年間みっちり働いて、今度こそ、他の運送会社に就職しようと考えて、転職活動をはじめます。ちょうどその頃、丸進運輸の広島営業所で大塚製薬と扶桑薬品の商品の共同配送の立ち上げの話がありました。「これからウチの会社の一つの柱になるかもしれへんから行ったらどうか」と父から打診があり、いろいろ悩んだ結果、行くことに。25歳の頃ですね。


――お父様の会社の一員になってからは、どうでしたか?

「役職はいらない」って言ったのですが、「役職がないとドライバーからずっと名前で呼び捨てにされる」ということで、「常務」になりました。でも、常務は名刺の肩書に付いているだけで、事務作業、倉庫作業、荷物が溢れている時にはトラックに乗ってという具合に、普通に現場で働いていました(笑)。

そのうち、共同配送の立ち上げが落ち着いてくると、「広島営業所をもっと大きくしたい」という思いが強くなってきました。でも私は個人宅への営業経験こそありますが、法人営業の経験はありません。なので、丸進運輸の本社に行って、しばらく得意先を回りながら、法人営業の経験を積ませてもらうことにしたのです。

法人営業に慣れてくると、広島で法人営業をしながら、本社に行くことも増えました。広島と本社を行ったり来たりしていたんですね。そんなある日、父から新しい打診を受けます。「神戸営業所で営業所の管理を学んできなさい」。

どうやら父は私に現場での管理マネジメントを学ばせたかったようです。それが27歳の頃ですね。それで神戸営業所に赴き、管理職を3年ほど努めました。その後、本社に戻って、以降はずっと本社ですね。本社では営業や安全管理業務や国際事業部に関わってきました。


――海外展開には、どのように関わられていたのですか?

35歳くらいまで中国に行く機会が結構多かったんですよ。中国で商売しているお客さんがいますし、アパレルの展示会もあるし、中国の友達もいますので、海外支店をつくることを考えていたんですね。ただ、中国でビジネスが成功するイメージは持てませんでした。何回行っても無理だなと。

次に注目したのがベトナムです。まだ市場も新しいし、入り込む余地があるんじゃないかと考えました。2016年くらいのことですね。1回行ってみて面白いなと思ったんです。親日でいろんな会社も進出している。でも、そこまで会社数多いわけでもなくて可能性を感じました。10日間のハノイとホーチミンを視察も行ったのですが、結論からいうと物流でのベトナム進出は断念しました。

1つ目の理由は、今から参入した場合、人件費の安い現地の運送会社と競争しなければならないから。2つ目の理由は、投資額です。ベトナムってなんでも安いイメージがあったんですけど、安いのは人件費だけなんです。土地を借りる、建物をつくる、トラックを買う。日本より高いんですね。儲かる見込みが立たないのに、大きな投資はできませんでした。

そうこうしている時に、ベトナムで知り合った方から声をかけられたんです。「技能実習生の協同組合をやりませんか?」って。それならうちでもできると思いまして、海外の人材を日本に入れていくという新事業がはじまりました。これが2017年ですね。開発途上国の青少年を一定期間受け入れ、技能、技術、知識を習得させることにより、人づくりに寄与することを目的とした事業です。

ベトナムでのビジネスは人材の紹介がメインですね。IT関係の仕事もチャレンジしてみましたが、なかなかうまくいかないのでやめました。その時に会社をハノイに作りましたのでベトナムには会社があります。その会社をもっと活かしていくのは今後の私の課題ですね。


 ――まだ事業承継はされていらっしゃいませんが、事業承継の心構えはいかがですか?

父が今年70歳になりましたが、現役バリバリで元気ですね。あらためて考えると、経営者として父はすごいと思います。これだけ自社の不動産を持っていながら、無借金経営をしてきていますから。そこはやっぱり常に数字に対して厳しく見てきたからだと思います。

最近、父からよく言われることがあります。「お前だったらどうする?」です。ここ1~2年でよく聞かれるようになりました。おそらく父にとって今は、私が社長になるための実地研修期間なんじゃないでしょうか。

私は子どもの頃から「会社はお前が継ぐ」と言われてきたので、自分でもいつか会社を継ぐと考えてきました。なので、父から「いつ社長を交替するか?」といった話はまだないのですが、いつでもその時が来てもいいように心構えはできています。


――大きなテーマになるのですが、今後の展望について教えてください

そうですね。ウチは現在、水戸から広島までしかネットワークがない状態です。なので、営業所のないエリアに今後は営業所をつくって展開していきたいですね。あとは、ベトナムを通して海外のことを勉強させてもらっているので、海外支店も増やしていきたいと考えています。

父もそうですが、私も人のお金を集めてまで大きなことはやりません。なので、上場などは一切考えていないです。

今の日本の物流業界の物流ってサービスが過剰すぎると思います。今日出して明日ものが届くことって、現場にシワ寄せが出てますから。これは多分なくなっていくと思います。求められることに対して、応えられることが少なくなっていくのは目に見えています。

産業、サービス、すべてがここ10年で大きく変わっていくので、そんな時代の変化を見据えて、提供できる最適なサービスのカタチを考えていかなければならないですね。そのためにも、まだまだ勉強しないといけないですし、常に変化を恐れず何事にもチャレンジしていきたいと思っています。


<インタビュー情報>
丸進運輸株式会社
専務取締役  半田 祐也
会社ホームページ http://marushin-unyu.co.jp/

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