切って曲げるのが得意な金属加工会社の、切らない曲げない社員のための経営の鉄則

2019-03-14 19:00
2代目経営者インタビュー
株式会社赤原製作所
代表取締役 赤原 宗一郎


――はじめに、赤原製作所について教えてください

ひと言でいうと、金属加工の会社ですね。レーザー加工機、タレットパンチプレス、レーザータレパン複合機、ベンダー機、プレス機といった設備が充実していることと、長年培ってきた技術力により、長尺の曲げ加工、長尺のレーザー加工、大ロット、短納期に対応できることが、私たちの強みです。「困ったら赤原製作所に相談しよう」と言っていただけるような存在になれました。

赤原製作所には前身となる会社がありまして、祖父が作ったと聞いています。その祖父が不慮の事故で亡くなり、父が24歳の時に会社を引き継ぎました。その時に株式会社化したので、今年で60期目を迎えます。私は5年前に父から会社を引き継ぎました。


――赤原社長は子どもの頃から会社を継ぐつもりだったのですか?

経営者の子供として生まれたのですが、「継ぐ」ということはまったく考えていませんでしたね。将来の夢はプロ野球選手でしたから(笑)。野球はそこそこ上手かったんですよ。普通に大学に行って、普通に4年間遊んでいましたね。就職する時も何も言われなくて。私なりにいろいろ考えて、素材関係が良いなって思って、化学の会社に行ったんです。そこで11年間働きました。

父のすごいなぁと思うところは、「継げ」と一度も言わなかったことですね。あとで聞いてみたら、「社長なんて、なにかあったら身ぐるみ剥がされる立場。そんな仕事、言われたからやりますって人間には務まらない。自分でやるって言うくらい腹くくった人間でなければできない。だから言わなかった」だそうです。

そんな父の思惑を知らずに、大学卒業後、サラリーマンをやってました。7年間営業をやって、4年間経営企画をやりました。でも、そういう仕事をしていると数字だけを追いかけちゃって、どうしても意識が内向きになるんですよね。「これでいいのかな?」という思いはあったんですよ。それで父と飲んでいる時、そのことを何気なく話しました。すると、こういわれたんですね。「お前、商売っていうのはな。お客さんに喜んでもらって、お客さんが儲かって、そのおこぼれを貰うのが商売だぞ。それを順番間違えて、てめえの売上ってやってたらお客さん逃げてくぞ」って。

その通りだと思いました。こんなこと言ってくれる人、今の会社には誰もいないと思い、経営者としての父の凄さを理解した瞬間かもしれませんね。子どもの頃、月末になると両親がよくケンカしていたんです。お金が足りないって。それがあまりいい思い出じゃなかったので、中小企業の社長よりもサラリーマンのほうがいいとずっと思っていました。でも、そうじゃない生き方も悪くないと思えてきたんですよね。

それで、私から会社を継ぐと父に言いました。いや、対外的にはそういうことになっているんですが、本当のところは少し違っていまして(笑)。私には姉が二人いるのですが、その旦那さんたちから「お前しかいないんだから」「お義父さん頑固だから、こっちから折れるしかないんだから」「お前が行け」と言われた、というのが真相です。まあ、父には言えませんけどね(笑)。


――入社後は、どんなことをされていたのですか?

「図面を勉強しろ」って言われたので、最初はCADを使っていました。CADっていうのは図面を作成するソフトのことです。半年くらいやったかな。そしたら、「次は現場に入れ」って言われて。それで現場で働きました。

ウチの職場って本当に技術職の人たちで支えられているんですよ。だから私のような、ついこの間までまったく別分野の仕事をしていた人間が入っても、ちょっとした手伝いくらいしかできないんです。それでも現場を知ることができたのは、いい経験でしたね。設計をやったり、現場をやったり、管理をやったり、ひと通り社内の仕事を経験して覚えていった感じですね。

13~14年くらい仕事をやって、事業承継することになりました。リーマンショックがなければ、もっと早めに代替わりはしていたんですけどね。リーマンショックでうちの会社はもうメタメタになっちゃって。売上は半分、2年で赤字も大きく出してしまいました。純資産があったので債務超過にはならなかったのですが、あの時は本当に大変でした。

そのあとに震災がありましたよね。本当に不幸なことでした。被災地の瓦礫撤去のために、ダンプカーの需要が増えたんですね。うちは金属加工をやっているので、瓦礫を載せるダンプカーのハコの部分を作れるんです。その依頼が殺到することに。どうやら大きな加工をできるところが珍しくて、ウチに依頼が集中したようなんですね。それで、これまでお付き合いのなかった会社とご縁ができたり、売上が伸びて短期間でV字回復することができました。

父とも話しているのですが「9割が運だな」って。もちろん、需要があった時に対応できるだけの設備と実力があったというのもあるのですが、運に助けられたってところもあります。それで会社が持ち直したタイミングで事業継承しました。


――実際に事業承継してみて、いかがでしたか?

父は完全に私に任せてくれています。社長と会長が会社の舵を持って、お互いが別方向に行く話をし始めたら社員が困っちゃうじゃないですか。どっちどっち?って。こうなった時に、古参の社員は先代に付きますから。父は「それはいかんだろ」と言って、経営にはまったくタッチしなくなりました。それはとても有り難いですね。

事業継承して初めの頃にやったのは、経営理念づくりです。父と二人で作りました。父曰く、「昔はこうだった、なんて言っても意味がない。任せるからには、こちらも腹をくくらないといけない。でも、言いたいことはある。それは生き方、考え方の部分。原理原則だけを守ってくれれば、あとは好きにやればいい」と。その原理原則をまとめたものが経営理念です。これが社内の共通認識として判断基準になっていますね。

判断基準ができたことで、相手の話を聞くスタンスが整いました。私の基本スタンスは相手とコミュニケーションを取ることです。言ったり聞いたりしないと人間は分かり合えないですから。それで意見がぶつかった時には、判断基準として経営理念を出して話し合うことができます。

コミュニケーションって本当に大切だと思います。ウチの場合は外国人労働者が多いということもあり、コミュニケーションはとても大切に考えています。言語の壁の話というより、「伝える」ということに対してです。1つルールを作っていて、「相手に伝わらない場合は、伝えた側の責任」ってことにしているんですね。「言った」では意味がなく、「伝わった」を目指さないと意味がないので。これは私を含めて社員全員に徹底していて、今では1つの社内文化になっていると思います。


――最後に、これからの展望について、お聞かせください

そうですね。まず、「人として正しい事をちゃんとやりたい」という思いがあります。それをやらないと長続きしないと思っているからです。欺いたりなんかしたって、得をするのは一時だけ。そんなの商売でもなんでもないんですよ。喜ばれることをしたらお客様も付いてきていただけるし、結果として売上も増えていくでしょうし、利益も増えていく。この流れを大切にしたいんですよね。

私はビジネスが嫌いなんです。商売が好きなんです。血が通ってる感じがするんで。

そして、やっぱり社員が一番大事ですね。社員あっての会社ですから。お客様も大切なのですが、その前に絶対社員ですね。社内に経営理念が浸透していて、それに社員が納得していて、前向きに働いてくれて、明るく元気に前向きに働いてくれている。で、お客様とちゃんと信頼関係がある。地域の方に必要とされている。そして、利益が出ていて社員還元が多いから給料が高い。これが私の考えるいい会社の条件であり、目指している姿です。こんな状態になっていたら最高じゃないですか。

父からもよく言われます。「社長の仕事は将来のことを考えることだ」って。目先のことをやっていると、「そんなのは社長の仕事じゃねえよ。そういうのはもう現場にやって貰えばいいんだ」って怒られます。まあ、おっしゃる通りです。だから、その辺はまだ完全には出来てないですね。私もまだまだ修行中の身です(笑)。


<インタビュー情報>
株式会社赤原製作所
代表取締役 赤原 宗一郎
会社ホームページ http://akahara.co.jp/

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